
名前は誰もが知っているのに、その功績や真実の姿がほとんど知られていない画家の筆頭格と言えるのが本展の主役ドガです。
実は、横浜美術館でドガ展を見て以来、どうしてもドガについて語りたくなり、誰彼かまわず「この間ドガ展見たんだけどね」と話を振るのですが……。
……どうにも反応が鈍い。
もちろん瞬時に反応してくれる友人もいることはいますが、大半はとっさに反応することができず、困惑して目を泳がせたりするわけです。これがモネやゴッホ、ルノワールなら、有名な絵描きであることぐらいは誰でも知っているので、たとえ興味がなくても「へえ、それで」と切り返すことぐらいは皆してくれます。ところがドガの場合は、ドガの名前を出した後、ピンときていない様子の友人に「ほら、バレエの踊り子の絵をいっぱい描いた人だよ」と付け加えてはじめて「あぁ、なんだ、そのドガか。ふ〜ん、それで」となるわけです。
『そのドガかってお前、いったい何人ドガ知ってんだよ』と思わず心の中でつぶやいてしまうわけですが、まぁ、話す相手を間違えた私が悪いのでしょう。
そんなわけで、今回改めてドガの認知度の低さを思い知らされたのですが、かく言う私も展覧会を見て、図録をじっくり読んでみると、自分自身の知識がいい加減かつ乏しいものであったことを認めざるを得ませんでした。
日本で本格的なドガ展が開催されるのは21年振りということです。ドガに対する自分の認識が正しいものかどうか確認するためにも、ぜひ「ドガ展」に足を運んでいただきたいと思います。おそらく、ドガの見方が変わります。それに、パステル画の名作《エトワール》を日本で見ることができるのは、今回ただ1度きりということですから必見です。
ドガ自身は自分が印象派と呼ばれることを拒否していたようですが、いまでは一般的に彼は印象派の画家、しかも中心メンバーのひとりとされています。
確かに彼は、8回開催された印象派展のうち第7回を除くすべてに参加しています。印象派グループの画家たちとの交流もありました。しかしそれだけのことです。素人考えに過ぎませんが、今回かなり多くの作品を見て、「ドガを印象派としておくのはかなり無理があるのでは?」と強く感じてしまいました。それほどドガの作品は、他の印象派の画家たちの絵とは異なって見えたのです。
思うに19世紀半ば以降は美術様式があまりにも多様化し過ぎ、一定の様式にはめ込もうとすること自体に無理があるのでしょう。どうしてもどこかに区分しておきたいということであれば、セザンヌやゴーギャン等と共にポスト印象派としておいたほうが、まだ納得できるような気がします。
展覧会前半部分の見どころは、なんといっても素晴らしいデッサンです。

ドガが非常にしっかりしたデッサン力を持っていたことは有名ですが、これほど凄いとは思いませんでした。ドガの一部のデッサンからは優れた芸術作品が発する、あのアウラ(オーラ)さえ感じます。まぁ、百聞は一見に如かず。たとえ会場が混雑していたとしても、遠目に見て、「あぁ、あれはデッサンだからいいや、パスパス」などと考えて素通りしてはいけません。非常に緻密に衣紋を描き込んだこのデッサンは必見です。
本展ではこのほかにも、デッサンがいくつか展示されており、それを見ていて気づかされるのが、ドガの合理的な性格です。それは、衣紋なら衣紋だけ、腕なら腕、足なら足といった具合に、必要な部分だけを描いているデッサンから推し量ることができます。
ドガは、現代の芸術や広告表現につながる新たな表現方法を積極的に取り入れた画家でもありました。たとえば、競馬をモティーフとした作品によく見られる、絵柄を意表をつくような部分でトリミングする断ち落としの手法。踊り子を上から見たり、サーカスの出演者を下から見上げたように描く上下左右自在に動く視点からの描写。人物や物を手前に大きく描き、遠景に舞台の踊り子を描く斬新な構図など……。
それらの表現方法はいまでこそ、広告デザインの世界などでごくあたり前の手法となっていますが、ドガが活躍していた当時はまだほとんど見られないものでした。
絵を描いたり、広告やポスターなどをデザインした経験があればすぐわかりますが、新しい表現方法を見つけるというのは、簡単にできることではありません。それではドガは、どうやってこの表現方法を手に入れたのでしょうか。
展覧会図録によれば、ドガは浮世絵版画を数多く所有していたということです。そして彼が使った表現方法の多くは、浮世絵に見出すことができるものなのです。そんなことからドガが試みた新たな表現の多くは、日本の浮世絵版画から着想を得たのだろうということです。
ドガと浮世絵というのは盲点でした。
そう指摘され見直してみればなるほどと思いますが、注意深い鑑賞者ではない私は、ドガの絵が浮世絵の影響を受けていることにはまったく気づいていませんでした。これからドガ展へ行く方は「ドガと浮世絵」ということを念頭に置いて鑑賞すると面白いかもしれません。
展覧会の第2章「実験と革新の時代」の冒頭で観覧者は「おやっ」と思わされます。そこに展示されているのが、ドガの生前に発表された唯一の彫刻作品だからです。しかも衣裳を身につけています。《14歳の小さな踊り子》というタイトルのこの作品は、ドガが亡くなった後に鋳造されたレプリカです。発表当時の作品は蝋製で人毛のかつらをかぶり、顔の一部は彩色され、衣裳を身につけ、靴下やトゥシューズまではいていたそうです。想像するとなんとなくわかるような気がしますが、その多少行き過ぎた表現に賛否両論の評価が交錯したようです。
ドガのこの大胆な挑戦に多少ショックを感じつつ、数点の素描を眺めながらコーナーを回ると、そこに本展の注目作品《エトワール》が現われます。
幸運にも混雑していない日に鑑賞できた人は、突然、光り輝く絵が目に飛び込んで来たように感じるでしょう。まるでバックライトをあてているかのようです。こういう瞬間に本物の芸術を見る醍醐味を感じます。それほど大きな絵ではありませんが、その存在感は抜群です。
実は筆者は、絵があまりにも美しく見えるので特殊なライティングが施されているのかと思い(上からのスポットのほかに、下から青いLEDを当てていたのでそれが気になったので)、担当学芸員に確認してしまいました。担当学芸員の答えは「通常のライティング効果はありますが、下からのLEDの効果は軽微なもので少し赤みが軽減されているだけです」というものでした。疑り深い私は、許可を得て下からのLEDを遮ってみたところ確かに説明どおりでした。おそらく同じような疑問を持つ方もいらっしゃると思いますが、その点はご安心ください。

「頑固でない芸術家なんているのか」という疑問はありますが、ドガは頑固者だったとされています。しかし、ドガのことを知れば知るほど「本当に他の芸術家と比べても際だつほどの頑固者だったのだろうか」という疑念が強まるのです。
そこで、ドガが描いた肖像画から、彼の性格を考察してみたいと思います。
本展にもいくつかの肖像画が出品されています。それを見ていくと初期の頃の作品は別として、ドガが描いた肖像画のほとんどが、モデルの一番いい顔を描こうとはしていないことに気がつきます。普通肖像画は、モデルとなった人が喜ぶように描かれます。そのために画家は、モデルの一番いい表情を探し、実物よりほんの少しだけ凛々しく、美しく、かわいく描くようテクニックを駆使します。
ところがドガの肖像画は違います。モデルを見て、ドガが感じた通りに描いているのです。ドガ自身がこんなことを言っています。
「現実とは何か? 現実、それは私が求めるもの、それは私が想うところのもの」
つまりドガは、モデルが疲れていると感じればその疲れを表現しようとし、悩んでいると感じればその悩みを表現しようとしたわけです。おそらく描かれた人たちの中には、その絵を見て憤慨する人もいたはずです。

たとえば上記の《マネとマネ夫人像》という作品。ソファでくつろぐマネとその右隣にピアノを弾くマネ夫人が描かれていた作品なのですが、どういうわけかマネ夫人の顔を含む右3分の1ほどが切り取られてしまっています。
図録の解説によると、
〈(画商)ヴォラールの回想録によれば、ドガはヴォラールの問いかけに対し、絵を切断したのは夫人の出来栄えを気に入らなかったマネ自身であり、マネから取り返したこの絵を修復してマネのもとに戻したいと思いながら先延ばしになっているのだ、と答えている。〉
ということです。
さて、何がマネをそこまで怒らせたのでしょうか。友人である画家が自分たちのためにせっかく描いてくれた夫婦の肖像を切り裂いてしまうというのは、尋常な出来事ではありません。
たとえば夫人が多少実物よりも不美人に描かれていたとしたら……。夫人本人は憤慨したでしょうが、本人ではないマネがそんなことで絵を切り裂くほど怒るとは考えられません。
おそらくこのときも、ドガは自分が感じ取ったままを描いたはずです。だとすればこんなことは考えられないでしょうか。
(あくまでもいい加減な想像ですが)マネは自分ではなく夫人の顔を切りとった……。もし、ピアノを弾く夫人の顔がつまらなそうな顔だったり、不満そうな顔だったりしたら……。そしてその絵が見る者に、「マネが夫人に小馬鹿にされている」ような印象を与えるとしたら……。マネは激怒し、そして自分を貶める効果を出している夫人の顔を切り取ってしまった。もしかするとマネは、自分さえ気づいていなかった夫婦関係の真実を突きつけられて逆上してしまったのかもしれません(考え過ぎですかね)。
いずれにしてもドガは、自分が見たと感じたものを正直に描かずにいられなかったのでしょう。それを頑固者と言うのが正しいのか、正直者と言ったほうが正しいのか。場合によってはドガのそういう姿勢に意地の悪さを感じた者もいるかもしれません。
しかし私は、ドガがあくまでも自分の芸術に対して真摯な態度を取り続けたため、そうならざるを得なかったのだと思います。
今回のドガ展は、最初から最後までいろいろ驚かせてくれました。下記の作品は、展覧会の最後のコーナーにあるドガが作った小さな蝋彫刻(展示されているのはドガの死後鋳造されたブロンズ製のレプリカ)の数々です。
すべて発表を前提に作られたものではありません。絵を描く資料として作られたものと、最晩年、目を悪くしたドガが、絵の代わりに触覚のみでもできる彫刻を続けたためにできたものがあるようです。
不勉強なため、ドガが彫刻を作っていたことさえ知らなかった私にとっては驚きでした。

多くの芸術家が、亡くなる直前まで創作活動を続けていたことはよく知られています。たとえばルノワールは、リューマチで変形してしまった手に筆を縛り付けて絵を描いていました。ドガもまた、視力をほとんど失っても創作への意欲を無くさなかったわけです。
どうやら人間にとって何かを作るというのは、たまらなく魅力的なことのようです。今回ドガ展を見て、改めてそんなことを感じました。
■ご注意
本レビューは、実際に展覧会を鑑賞した上で、主に展覧会図録を資料として内容を構成しました。作品名や数字などの動かしようのない事実は、きちんと調べた上で表記するよう心がけました。万が一誤りがございましたらご一報ください。
その他の多くの部分は、すべて私的な考えの記述です。裏づけとなる事実、証拠は何もございませんので、その点を念頭に置きお読みいただければと思います。