束芋 断面の世代/横浜美術館/2009年12月11日〜2010年3月3日

第1回アートウォークの参加者募集

 いま、横浜美術館で開かれている「束芋 断面の世代」展はちょっとお勧めです。

 展覧会タイトルにある「束芋」というのはグループ名などではなく個人のアーティスト名、少々変わっていますが女性現代美術作家の名前です。

 ウィキペディアによると、

アーティスト名は、姉妹共通の友人が呼び分けるため、それぞれ「たばあね(田端家の姉。1歳上)」「たばいも(田端家の妹)」「いもいも(妹の妹。2歳下。束芋のマネージャーをつとめる)」と呼ばれていたことによる。

ということです。

 私がこの束芋の作品を初めて見たのは、ちょうど2年ほど前に横浜美術館で開かれた「GOTH−ゴス−」展(2007年12月22日〜2008年3月26日)という展覧会でのことでした。そのときの出品作は《ギニョる》という映像インスタレーション作品。正直言って印象はあまりいいものではなく、そのため今回の展覧会を見るまで彼女の作品にはあまり興味が持てませんでした。

 そんなわけで今回の「束芋 断面の世代」へは、「けっこう注目されているアーティストだから一応おさえておこう」くらいの気持ちで出かけたわけです。

 でも、わざわざ横浜まで見に行った甲斐がありました。


中央が束芋さん。右側は横浜美術館館長の逢坂恵理子氏、左側は担当学芸員の木村絵里子氏

 束芋はアーティストとして活動を始めてから今年(2009年)で10年目。もともとはアーティストになろうと明確に考えていたわけではなく、グラフィック・デザイナーを目指していた時期もあったということです。

 しかし2003年、イギリスで1年間過ごす中でその気持ちが大きく変化します。

 2003年、イギリスでの1年間の生活を経て、絶対的に信用していた自分と鏡との距離感を見失う。日本から一歩外に出た時、常に対峙していると思っていた鏡は、よその方向を向き、確固たる1枚の普遍的な鏡の存在を信じていたのに、無数の鏡が存在することを知る。もはやどの鏡に自分を映してみればいいのか、どれが自分にとって最適な鏡なのかがわからなくなり、不安定な存在となった鏡を使うことなく自分を見つめることを試みるようになる。《ギニョる》(2005)以降の作品は私自身の制作態度がそのように変化していく中で作った作品だ(展覧会カタログより抜粋)。

 なるほど、ということは私は、変化をはじめた束芋から見始めたということになるわけです。その変化前の束芋作品はどんな感じだったのでしょうか? 興味のあるところですが、束芋作品のような形式のアート(特殊な装置を用いての映像インスタレーション)は、展覧会を見逃すと、なかなか後から見るチャンスを得られないのが残念な点です。その意味では、今回の大規模な個展は、多少なりとも束芋に興味のある人にとっては必見の展覧会と言えます。

 今回の展覧会タイトルは「断面の世代」。

 「断面の世代」というのは「団塊の世代」に対置する形で、アーティスト自身の世代(1970年代生まれ)を束芋が勝手に名付けたということです。

 その「断面の世代」とはどんな特徴を持つか……。

 「団塊の世代」は大きな塊になることによって世の中を大きく動かし、後の世代にも影響を与えてきたが、「断面の世代」は個に執着し、どんな小さな差異にも丁寧にスポットを当て、全体の形態からは想像もつかないような一つの部品となるよりも、ペラペラな二次元の存在だとしても、全ての要素を見て取れる断面でありたいと願う(展覧会カタログより抜粋要約)。

ということです。

 考えてみれば、1975年生まれの束芋は「団塊ジュニア世代」に当たり、そのため世代感というものに敏感になるのは理解できるような気がします。

 展覧会は、エントランス・ホールに吊るした巨大スクリーンに映し出された展覧会の目次的作品《団地層》からスタートします。


《団地層/Apartment Strata》

 巨大スクリーンに映し出されているのは団地の断面です。その断面から家具などの家財道具やふすま、トイレ、台所などが押し出され、次から次へと落下していきます。それらが部屋の所有者のキャラクターを浮き上がらせます。

 浮き上がるキャラクターや集合住宅という形態、隣り合う空間に存在する個々人、また、その集合といったコンテンツが、展示される全ての作品の導入となる。

 今回の展覧会では、この最初の展示がかなり効果的でした。束芋作品に共通する特徴は「なんとなく不思議な感じがする」という点なのですが、《ギニョる》などではその感覚が強過ぎて私などは軽い拒否反応を起こしてしまいました。しかし、この《団地層》は、不思議な感じを残しながらも拒否反応までは抱かせない作品となっていて、展覧会全体への期待感を高める役割を果たします。

 個人的に若干残念に感じたのは「落下していくものの中に少しだけ(多過ぎると拒否反応につながりそうなので)人物が混ざっていたほうがよかったのでは?」ということですが、まあそれは誰でも簡単に思いつくことなので、束芋も考慮はしたけれどあえてやめておいた、ということかもしれません。

 入口から入って右手のエスカレーターを上がると、いつも通りそこに展覧会のタイトルボードが設置されています。

 期待感を持ってそのタイトルボードを通り過ぎると次に現れるのは《悪人》という作品。この作品はもともと、2006年3月24日から2007年1月29日まで、朝日新聞で連載された吉田修一の小説『悪人』の挿絵として描かれたものです。ただ、連載当時はカラーで描かれていましたが、今回の出品作は展覧会に合わせて単色の線画にして再構築しています。


《惡人(新聞小説『悪人』挿絵原画)/akunin(illustrations for a serialized novel)》

 何とも言えず不思議なイラストです。いったい束芋の頭の中はどうなっているのか?「なんだこれ、おもしれぇ」という感じ。ちなみにカラーの挿絵がどういう作品だったかというと、今秋『悪人』が映画化されるらしくその公式サイトがあり、ギャラリーのコーナーにアクセスすると見ることができます。
 このカラー版だけを見ると、「なんだカラーのまま出品すればいいじゃないか」と感じるかもしれませんが、展覧会場に行けばカラー版をそのまま使わず「単色の線画で再構成した」というのが正しい判断であると納得できるはずです。

 かなりの点数がある《惡人》を見ていくと、その途中にあるのが《油断髪》という作品。


《油断髪/yudangami》


《油断髪/yudangami》

 新聞小説『惡人』の登場人物のひとり、金子美保をモチーフにした映像インスタレーションで、束芋作品にしてはわりと「ねっとり感」の少ない作品です。どうやら小説の中ではこの金子美保は主要な登場人物ではないようなのですが、束芋は「点の存在でしか描かれない美保に私は共感するようになっていく」と言っています。と、この辺まで来ると多くの人が「吉田修一氏の『悪人』、読んでみるか」という気持ちになってくるのではないでしょうか。

 残りの3作品はまとめて紹介します。


《団断/danDAN》


《ちぎれちぎれ/fragment》


《BLOW》

 1番上は《団断》という作品。三面鏡を横にしたようなスクリーンに団地の内部が映し出されます。2番目が《ちぎれちぎれ》。人の身体の断片や内部が、これも変わったスクリーンに映し出されます。最後が《BLOW》。鑑賞する私たちの足下から映像が湧き出るように現れてきます。

 どの作品も束芋ならではの「ねっとり感」を発散していますが、この「ねっとり感」についてなんとなくわかったような気にさせる話が展覧会カタログの中にありました。以下少々長くなりますが引用しておきます。束芋が京都造形芸術大学に在学中、担当教師だったというアーティスト田名網敬一氏の文章です。

 当時の束芋はアトピー性皮膚炎を患っていて、私が見てもかなり痛々しい状態だった。症状によっては、両手に包帯が巻かれている日もあり、授業中真っ白なケント紙においた手をじっと見つめていた。手を凝視し皮膚の内側で起こっているなにかを透視しているようにもみえた。インタビューに答えて束芋は「自分の手をみる時間が他人よりも多いんです。じっと手を眺めていると、それ自体が『私の手』という感覚を超えてしまって、ひとつの生命体というか、変化していく別のものに見えてきます」と語っている。

 自分の思い込みに過ぎないかもしれませんが、この文章を読んで束芋作品が持つ「ねっとり感」をなんとなくわかったような気持ちになりました。

 少々脱線しました。話を元に戻します。

 上記3作品に関して重要なのは、鑑賞者に対し作品に参加することを強要している(ちょっとオーバーか!)という点で共通していることです。

 この束芋の意欲的な作品を見て何を感じるか、ぜひ、展覧会に足を運んで欲しいと思います。

 最後にYouTubeにアップされている束芋のインタビュー動画を貼りつけておきますので、ご興味のある方はご覧ください。

 「束芋 断面の世代」展
 [横浜会場]
  会場:横浜美術館
  会期:2009年12月11日〜2010年3月3日

第1回アートウォークの参加者募集

 [大阪会場]
  会場:国立国際美術館
  会期:2010年7月10日〜9月12日

2010年2月7日(日)