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入り口の上に掛けられたポンペイ展の案内とエントランスから見た館内の写真

西暦79年8月24日午後1時

 西暦79年8月24日午後1時頃、イタリア南西部にあった地方都市ポンペイを悲劇が襲います。目の前にあるヴェスヴィオ山の噴火によって、わずか一両日という短時間の間に都市全体が火山灰と軽石に埋め尽くされ消滅してしまうのです。

 ポンペイは人口7〜8000人、66ヘクタール余りの広さを持つ当時としてはかなり繁栄した地方都市でした。しかし、火山灰に埋もれたポンペイの存在が人々の記憶に残ったのは消滅後2〜3世紀の間だけ。やがてポンペイはその存在を完全に忘れ去られてしまいます。

 再び歴史上にポンペイが姿を現わすのは1748年。およそ1700年近くもの間、静かに地下で眠っていたポンペイは、西暦79年当時の都市の姿をほぼ完全な形で残していました。そのことに関して、文豪ゲーテは次のような文章を書いています。

 「世界にはこれまでいろいろの災禍が起ったが、後世の人々をこれほど愉快にするものは余り他に類がないだろう。こんな興味ふかいものはそう沢山はない(ゲーテ著『イタリア紀行』岩波文庫より)」

ポンペイの人々の暮らしぶりに焦点を当てた展覧会

記者会見の写真
左から担当学芸員の内山さん、館長の逢坂さん、総合監修の浅香同志社大学教授

 最初に今回の展覧会について、多くの人が疑問に感じるであろうことについて説明しておきます。それは、ポンペイに関連する展覧会は、日本でも過去に何度も開催されているのに「なぜまたポンペイ展なのか?」ということです。

 残念ながら私は、過去のポンペイに関連する展覧会を見ていないので検証はできませんが、記者会見で聞いた話をそのまま書きます。

【逢坂館長の話】
 横浜美術館でも1997年にポンペイ展を開催しているが、そのときは壁画に焦点を当てた。それに対して今回のポンペイ展は、ポンペイの都市文化、人々の日々の暮らしに焦点を当てている。
 また、今回のポンペイ展は3つの博物館と2つの美術館を巡回するが、横浜美術館では美術館としての特色を出すために、美的な部分を強調した展示を意識した。

【浅香教授の話】
 いままでのポンペイ展は、美術・工芸品を中心とした展示だったが、今回はポンペイの人々の生活を蘇らすことを目的とした展覧会である。

 なるほど、確かに「人々の暮らしに焦点を当てた」という展覧会主旨を知っていると今回の展示を見てうなずける部分は多々あります。

 もうひとつだけ、展覧会を楽しむためのポイントを浅香教授が話してくれました。それは、ポンペイが悲劇に見舞われた西暦79年頃、日本はまだ弥生時代中期であったことを認識しておくことです。
 邪馬台国の女王卑弥呼が中国の魏に使いを出したのが247年の出来事。つまりポンペイは卑弥呼の時代より、はるか以前に繁栄していた都市なのです。それを頭に入れておくと、ポンペイ人の文化がいかに高度なものであったかがよくわかります。

『プロローグ+10章』のわかりやすい構成

 展示は「プロローグ+10章」で構成されています。今回の展覧会は、この章立てを意識しながら見ていくと、とてもわかりやすくなります。そこで各章のタイトルを以下に掲げておきますので参考にしてください。

  1.ポンペイ人の肖像
  2.信仰
  3.娯楽
  4.装身具
  5.家々を飾る壁画
  6.祭壇の神々
  7.家具調度
  8.生産活動
  9.饗宴の場
 10.憩いの庭園

 最後に主だった展示物を少しだけ紹介しておきます。まずは、プロローグから少々ショッキングな展示をひとつ。

展示「噴火犠牲者の型取り」の写真
《噴火犠牲者の型取り》京都の古代学研究所(当時)が2002年に行ったポンペイ調査により発見された2体の人骨のうち1体の石膏型。

 続いて「第1章:ポンペイ人の肖像」からいくつか。ここで紹介されているのは「肖像」と言っても絵ではなく彫刻です。現代でも創業者の彫刻などを飾っている会社がありますが、それと同じような感覚で作られたものということです。

ポンペイ人の肖像の写真
左《行政官の像》、中央《マルクス・ノニウス・バルブスの彫像》、右《女性像》

 「第2章:信仰」では、アフロディテ、ポセイドン、アポロ、ヘルクレス、アキレスなど、ギリシア・ローマ神話でおなじみの神々と出会うことができます。

ヴィーナス像の写真
《ウェヌス像(アフロディテ)》

 「第3章:娯楽」では、円形闘技場で闘った剣闘士が身につけていた鎧・兜など、「第4章:装身具」では、首飾りや腕輪、耳飾り、指輪などの装身具や女性がおしゃれするために使用したと思われる品々が展示されています。

 「第5章:家々を飾る壁画」では、1世紀のものとしては非常に保存状態の良好なフレスコ画が展示されています。ポンペイ人の住居の多くは、これらの絵で飾られていたということです。数多くの壁画で飾られた家々。想像しただけで楽しくなります。

第5章:家々を飾る壁画の写真
左《タウリスのイピゲネイア》、右上《花綱》、右下《横たわる人物像》

 ポンペイでは、どんなに貧しい家にも必ずララリウムと呼ばれる祠ないし祭壇が設けられていたということです。「第6章:祭壇の神々」では、当時の個人宅や店舗などで祀られた青銅製の小型の神像が展示されています。

青銅製の小さな神像の写真
家の守り神「ラル」や家父長の守り神「ゲニウス」、ローマ神話でおなじみの「ユピテル」や「ウェヌス」などの神像

 「第7章:家具調度」で必見の展示は、富裕な金融業者が所有していたと考えられている邸宅に備え付けられていた浴室です。おそらくこの浴室を見た多くの人は「わが家の浴室よりはるかに上等ではないか」と思うことでしょう。それも王侯貴族の浴室ではなく、いかに裕福とは言え一個人所有の浴室に過ぎないにもかかわらずです。

 そのほかこの章では、金庫や飲料加熱器など、青銅や鉄製の重厚な家具調度の数々を見ることができます。

富裕な金融業者が所有した邸宅の浴室の写真
《ボスコアーレ、ピサネッラ荘の高温浴室(部分)》

 ポンペイの人にとって、労働とは「家の中で行う仕事」でした。農作業や土木作業のような戸外の重労働は奴隷が行うものだったためです。そこで「第8章:生産活動」では、商業、手工業、そして家事などでポンペイ人が用いたさまざまな道具類が紹介されています。その中には医療器具なども含まれていて驚かされます。

 「第9章:饗宴の場」では、盛大な宴で用いられたであろう銀食器やその他の食器、壺、宴会の情景を描いたフレスコ画が展示されています。
 展示されているフレスコ画のうち2枚には、漫画のように登場人物のセリフが描かれていて、宴会の楽しげな様子が伝わってきます。

豪華な銀食器の写真
《「イナクスとイオの家」出土の銀食器》

 ポンペイの町に住む富裕層は、地中海沿岸に広がったヘレニズム趣味を色濃く現わすペリステュリウムと呼ばれる、周囲に列柱を持つ四面回廊をつけた庭園を所有していました。
 「第10章:憩いの庭園」では、その庭園を飾りつけるのに使った彫刻や水盤、庭園画などが展示されています。この第10章では展示が工夫され、庭園を散策するような気分で見て回ることができます。

第10章:憩いの庭園の写真
「第10章:憩いの庭園」の展示風景

ポンペイ展を見て感じたこと

 歴史をひも解いていて時々感じることがあります。

 それは「果して我々は、本当に進歩しているのだろうか?」ということです。

 今回のポンペイ展を見て、似たようなことを感じました。

 「ポンペイの人々よりも、私たちは豊かな暮らしをおくっているのだろうか?」と。

 もちろんごく表面的には、明らかに西暦79年に消滅したポンペイより現代日本の方が何もかもが豊かなように思えます。しかし、ポンペイから出土した彫刻や壁画、神像などの生活の痕跡を見ていると、当時の人々の豊かで文化的な暮らしを感じるだけでなく、楽しげなざわめきさえ聞こえてくるような気がするのです。

 果して、私たちの暮らしがいまこの瞬間に凍結され、それが1700年後に発見されたとしたら、未来の人々はどのように感じるでしょうか。
 私たちの暮らしの痕跡からは、豊かな文化は感じられるのか、楽しげなざわめきは聞こえるのか……。

 今回の展覧会を見て、そんなことを考えさせられました。

 このレビューは、ポンペイ展の記者発表、カタログをもとにNPO法人公共情報センターが作成したものです。

 会期など詳細は横浜美術館のウェブサイトをご覧ください。▶ 横浜美術館

2010年4月11日(日)
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