有力な官僚たちの出現(宦官の出現)〜新アッシリア王国〜

有力な官僚たちの出現(宦官の出現)〜新アッシリア王国〜

 シャルマナサル3世の息子シャムシ・アダト5世(前823〜811年)と、さらにその息子のアダト・ニラリ3世(前810〜783年)の治世には、内政が混乱し、そのために地方支配も十分ではなく、帝国の勢力は一時的に弱まった。そしてアッシリアの管理統制が緩んだので、属国からの貢納も滞りがちになった。

 また高位の官僚、特にアッシリア属州を治めるために任命された代官たちが強い権力をもち、ほぼ独立国の王のように振る舞うようになったのもこのころであった。特に前9〜前8世紀の銘文をもつ印章としては地方代官のものが目立つ。それらの代官の多くは宦官でもあった。宦官が重用されて要職に就くようになったのも、この時代からである。

 アダト・ニラリ3世の治世にカルフの代官であり、宦官でもあったベール・タルツィ・イルマ(彼がリンム職にあった年は前797年にあたる)がナブー神殿に奉納した一対の男神像がある。これらの神像は、神ナブーに対してとりなす役割を担うものとして置かれていた。古代メソポタミアでは位の高い神に願い事をするには、位はそれほど高くない神、あるいは個人の守護神が、間にたって仲介の労をとってくれるということが肝要と考えられてきた。奉納された神像には次のような碑文が刻まれていた。

 「神ナブーに(中略)、アッシリア王アダト・ニラリと王母サムラマトの長寿をも願ってこの像を奉納した。今後はだれであれ、ナブーに依り頼み、他の神を頼むことのないように」

 この奉納文のなかで注目すべき点の一つは、ナブーだけを崇(あが)めよというある種の一神教の萌芽とも受け取れる発言があることである。しかしこれだけではこの発言の真意は測りがたい。あるいは、カルフを中心とするベール・タルツィ・イルマの管轄地では、彼の主導による宗教改革があったということなのだろうか。いずれにしてもその地域でナブーだけが崇拝されるようになった形跡は発見されていない。

 もう一つの注目すべき点はサムラマトへの言及である。彼女はシャムシ・アダト5世の王妃であったが、アダト・ニラリ3世の王母として権勢を振るったのかもしれない。彼女をモデルとして後代のギリシア人は、古代オリエント全土を支配したセミラミス(サムラマト)の伝説を作り上げたが、サムラマトに関するアッシリアの史料は乏しく、実情は不明である。女性が歴史記述のなかに登場することは概してまれであるこの時代に、いくつかの奉納文のなかに彼女の名がみられるのは、まったく理由のないことではないはずである。

 その後もアッシリアの官僚、特に宦官のなかには大きな権力をもつ者があった。たとえば、ティグラド・ビレセル3世の治世(前744〜727年)にナーギル・エカリという役職にあったベール・ハラン・ベール・ウルツ(リンム:前741年は、王の石碑をまねて、自らの像を刻ませた石碑を造らせた。その碑文のなかには言及されていないが、その像から、彼が宦官であったことがわかる。

2009年11月21日(土)

【引用】世界の歴史1 人類の起源と古代オリエント 中公文庫

【雑感】

 上記からわかるように紀元前800年代には、すでに高級官僚という人々が存在していました。しかもそれらの多くは宦官だったということです。……という記述を読んでなるほどと思った点がいくつかあります。

[宦官](かんがん)
 去勢された男子で貴族や宮廷に仕えた者。古代オリエント・ギリシャ・ローマ・イスラム世界にみられ、中国では春秋戦国時代に現れてしばしば権力を握り、後漢・唐・明の滅亡の一因をなした。宦者。〔大辞林より引用〕

 権力を手に入れた者とそれを支える人々が、利己的な行動をとることによって国が衰退していくという構図は、3000年近く経ったいまもまったく変わっていません。なかでも強調したい点は、権力者を支える人たちにも大きな問題があるということです。

 さすがに現代社会で権力者を支えるのは、肉体的に去勢された宦官たちではありませんが、精神的に去勢された「宦官もどき」であるということは言えるかもしれません。

 そして時と場合によってはわれわれ一般大衆も、誤った方向に進む権力を支える「宦官もどき」と堕しているという視点を持つべきです。

 一般大衆も含めた全体が誤った方向に進むことを防ぐには、正しい情報を共有する必要があります。しかしありとあらゆる情報が交錯する現代社会では、それは困難を極める作業です。

 インターネットはいまのところ、ただ単純に情報を収集・発信するには大きな威力を発揮してきました。今後それが、情報の理解・選別の一般化というところまで発展していけるのかどうかが気になるところです。

 誰かが、何かが、人間の理解力、コミュニケーション能力を格段に向上させない限り、理想的な人間社会の構築は達成できません。
 裏を返せば、人間が理解力を高め、コミュニケーション能力を向上させれば、いま抱えている問題の多くは解決できるということなのです。