
前項の「アカデミズムの素晴らしさと限界」で書いたように、アカデミズム絵画が次々と現れた新たな表現に主役の座を追われたのは必然的なことでした。その流れをつくり出したのは、印象主義の画家たちでした。彼らは、多くの人々に嘲笑され、絵は売れず、貧しさにあえぎながらも新たな絵画表現の研究に没頭しました。その中心にいたピサロ、シスレー、モネ、ルノワールなどの功績は、非常に大きいものだと言えます。彼らは、行きつくところまでいってしまい袋小路に入りこんでいた絵画芸術に、新たな進路を示したわけです。
しかし同時に、多くの負の遺産も残してしまいました。印象主義の画家は、一般にとても多作です(ルノワールは生涯に6000点にものぼる作品を残したといわれています)。モネやルノワールの作品には、日本で開かれるさまざまな展覧会でも非常によく出会います。もちろん、素晴らしいと感じることは多いのですが、反対に「これがモネ」「これがルノワール」と、がっかりすることもしばしばです。考えてみれば当然のことですが、いかに優れた芸術家でも数千点にのぼる作品のすべてを、最高レベルに仕上げることは不可能です。おそらく印象主義の画家たちが新たな表現技法を確立するためには、数多くの作品を描く必要があったのでしょう。
対してアカデミズムの画家たちの手法はすでに確立されていました。しかもその多くは画家として認められた人たちです。そのため下絵を優秀な弟子に任せ、仕上げを画家自身が担当するということも可能でした。作品の完成度に差が出るのは当然のことと言えます。
印象主義のリーダー格モネは、自らの絵を手を抜いて描いたように言われることに強く反発していました。私たちはさまざまな文献から、モネが新たな表現を極めるために、真摯な努力を積み重ねていたことを知っています。試行錯誤を繰り返していた画家自身にとっては、どの作品も意味のあるものだったことも容易に察しがつきます。しかしそれでもなお、アカデミズム絵画と直接比較すると、完成度という点では大きく見劣りすることは否定できず、残念なことです。
最後にもう1点。実物を見るとアカデミズム絵画は、非常に丁寧な作業によって制作されていることが一目瞭然です。そのため保存状態もよく、おそらく色の経年変化も少ないと思われます。一方、印象主義絵画は技法のためもあるのでしょうが、その他のさまざまな要因も重なり、絵をいい状態に保つ作業がかなり省かれているようです(ここらへんのことは友人の画家にも聞いたことがあります)。少なくともこの点に関しては、印象主義はアカデミズムを見習ってもらいたかったものです。
アカデミズム絵画 vs 印象主義絵画。展覧会を見終わって考えてみれば、印象主義絵画にとってアカデミズム絵画という既製の勢力が、いかに巨大な壁だったかがよくわかります。しかしその壁にひるむことなく挑戦した印象主義の画家たちの功績は、新たな表現への道を切り開いたという点でより大きなものでした。今回の「フランス絵画の19世紀展」では、それを改めて実感することができました。
視点を変えるというのは、本当に大切なことです。